阿蘇の鼎灯

阿蘇の鼎灯

戦国時代も末期の天正14年(1586)九州の勢力は薩摩の島津義久、豊後の大友宗麟によって二分され、島津勢はなおも九州全土の制覇を目指し、大友攻略のため着々と軍略を進めていた。朝廷より従二位の職位を授けられた肥後の雄阿蘇家も、大宮司惟将、惟種が相次いで逝き、幼年の惟光が大宮司を嗣いでいたが、筆頭家老の甲斐宗運が倒れたのを境に、島津勢に侵略され人質を送って軍門に降る。阿蘇家の重臣の殆どが島津の膝下に甘んずる中、高森城主高森惟直のみは、これを潔しとせず一人孤塁を守っているが、島津は大友攻略の要衝となる高森城攻めを1月23日と決議する。一方上方では太閤秀吉が大友宗麟の要請を受け、九州へ下向する準備をしている。

あらすじ

【二段目 評定の間】

阿蘇家の本城矢部の濱の館で、二人の家老が口論をしている。片や大友の後ろ盾を頼みに島津と戦うという柏城主柏治部少輔。一方は島津に服順して生き残りの希望をと主張する西越前守惟延である。そのとき西源兵衛が柏治部の城が高知尾、薩摩勢に襲われたと知らせてくれる。柏治部は驚愕し、犬死になると制止する惟延に不明を詫び、阿蘇家の将来を託し戦場の城に帰っていく。

西越前守は、かつて大宮司の職位を争い薩摩に逃れ、今は島津の庇護下にある阿蘇一族の惟賢を、濱の館に大宮司として迎え、島津の矛を収めさせようと考えて腹心の北里周防守と西源兵衛に打ち明け、裏切りであると憤る二人を説得する。しかし、ここに惟賢が入城すれば、二君を戴くことになり、惟光の擁護派との間に争いが起きることを避けるため、惟光惟善両君を、母惟種後室とその侍女と共に目丸の山中に隠居させることにする。

【三段目 目丸落ち】

家臣から目丸落ちを告げられた惟種後室は悲憤やるかたなく、狂乱の体で拒絶し、何故この館を離れねばならないのか、と北里周防守を問い詰める。後室の侍女小宰相の局初音は若君達の命を救う手立ては他にないと説き伏せる。後室は二人の幼子を抱き、悲運を嘆く。

ー道中の場 1ー

霜柱の未明、男成神社から密かに七人の人影が現れる。惟光を西源兵衛が背負い、渡辺軍兵衛は、惟善を肩にのせてひと目を忍ぶ山道五里、目丸への出立である。惟種後室は、過去の栄光を懐かしみ、未練の心情を歌に託す。

ー道中の場 2ー

しかし、練に練った道筋にもかかわらず、薩摩の手のものの目を逃れることが出来ず若君を渡せと迫る追っ手と戦いになるが、難を気遣って後を追ってきた北里周防守と共に切り伏せる。惟種後室は身の危機を目のあたりにして、家来達へ謝意を述べると共に、過去への思いを断ち、お家の再生を共に期して忍ぼうと語り、目丸を指して落ちていく。